NLaEnMの日記

雑多と言いつつ最近は専らシャニマスの話ばかり。他にはTYPE-MOON作品や仮面ライダー、車関連などを気ままに書いてます。

【Twitter】アカウント凍結の話

突然だが、私はTwitterのアカウント凍結を2度経験している。

正確にはもう2回ほどあるのだが、使用していないアカウントの本人確認等を怠った結果なのでノーカンで。

今日はこれに関して話をしていこうと思う。

 

 

一度目(@07au0ST)

2017年9月21日。朝起きてTwitterを開いたらアカウントが凍結していた。

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残念ながら心当たりは全くない。とりあえずTwitter社に何度か異議申し立てを行うが、いずれも「攻撃的なツイートが理由」の一点張りで凍結解除が通らないどころか原因となるツイートすら不透明なまま。

いや。正確には心当たりはいくつかあった。当時私と深く交友のあったフォロワー達(今も交流は多いが)はTwitterを荒らすことを好み(意訳)、おそらく私自身の過去の発言をお遊びで通報されたのではないだろうか。真相は闇の中だが、私の中ではそのように結論付けた。

その後思わぬ形で真相が明かされることとなるのだが、その話はまた後ほど。

 

二度目(@u1GMN)

9月21日の惨劇の後、私はサブで運用していたアカウントをメインに挿げ替えて活動することとなる。

月日は流れ、2020年3月11日。私は二度目のアカウント凍結を経験する。今回は原因がハッキリしている。

それでは経緯を説明しよう。当時、ある仲の良いフォロワーと過激なコピペをツイートするのが共通のブームだった。そのコピペの内容がまずかった。なぜならその内容とは一大宗教に喧嘩を売るような、いや冒涜するとまで言っても差し支えないだろう。そこまでの内容を含んだコピペだったのだ。

この綱渡りのようなブームは凍結日から遡ると約8ヵ月前の話だが、その時点で私は数度のアカウントロックを食らい、件の仲の良いフォロワーに関してはその時点でアカウントが凍結してしまったのである(奇妙なことに彼が凍結したのも2019年7月11日であった)。

そして来たる2020年3月11日。今でもその時のことを鮮明に記憶している。危険なマイブームも去り(懲りたというかいよいよ危険なライン手前まで来てしまい身を引いたとも言う)、もう終わったことのように彼と当時を振り返る会話をしていた時である。どちらが切り出したのかは定かではないが、あるひとつの疑問が浮かび上がる。「時の経った今、アレをツイートしたらどうなるのか?」と。

ツイートは以前凍結しなかった私が請け負うこととなった。互いに半分くらいは冗談のつもりだったように思う。これで凍結したら笑い話だよな、と。しかし忘れるなかれ。お前は既に数度のアカウントロックを経験し、Twitter社に目をつけられているということを。

さて、3月11日は何とは言うまいが祈りを捧げるべき日であることは皆もご存知だろう。私もその日は丸一日フリーだったのでその時間に祈りを捧げた。

祈りを終えTwitterを開く。意味もなく「黙祷」と打つ。その言葉が最後のツイートになってしまうとは知らずに。

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勿論異議申し立てはしたが、返ってくる言葉は「ヘイトスピーチは禁止されている」とだけ。当然である。

この日を境に、私が捧げる祈りは2つとなった。

 

原初のアカウント、復活

いよいよ新規のアカウント作成も封じられてしまったらしい。そういうわけで、次なるアカウントは以前別用途で使用していたアカウントをリフレッシュして使うことにした。このアカウントが最後の砦ということもあり、過激な発言も減っていったように思う(もっとも、過激なのは私自身ではなくそういったコピペ達だったわけだが傍から見ればさして変わらないだろう)。

更に月日は経ち、2022年2月17日。事態は大きく動くこととなる。

第一のアカウントの時代から付き合いのあったフォロワーの失われたはずのアカウントが続々と復活していたのである。それを見た私は、試しに異議申し立てを送り直してみようと思い立つ。ダメで元々、これで凍結が解除されるのなら儲けものだと。

Twitter社からの返答はその日のうちに来た。第二のアカウントが復旧しないのは言うまでもないが、そちらは最初から期待していない。問題は最初のアカウントである。

届いたメールの文面には「システムがスパムアカウントと誤認識した可能性があります」の文字。そして「このたび、ご利用のアカウントの凍結が解除されましたのでお知らせしております」の文字。私の原初のアカウントが復活した瞬間である。

本来であれば5年前のTwitter社の怠慢を愚痴りたいところではあったが、その時の私は驚きと興奮でそれどころではなかった。

こうして、私の手元にひとつのアカウントが舞い戻ってきたのである。

 

余談

こうしてアカウントが帰ってきたわけだが、結局今まで通りのアカウントで日々を過ごしている。

というのも、5年前の自分や仲の良いフォロワーは今と話し方が大きく異なる場合が多く、アカウントを覗きに行くだけで過去にタイムスリップしたような感覚を味わえる。話題やソシャゲのスクショも当時物そのままである。故に、博物館のようにこのアカウントを保存しておこうと考えがまとまったからだ。

よければ皆も覗いてみるといい。自己紹介文だけは手を加えさせてもらったが、アイコンやヘッダーも当時のままにしてある。

ただしひとつだけ注意点。私は気にしないが、共感性羞恥に陥る可能性だけは注意を払ってほしい。

twitter.com

とはいえ、今のアカウントが脅かされるような事態になれば大人しくこちらに逃げることになるとは思うが。

 

更に余談

折角Twitterに関する話題なのでここで語ってしまうことにする。

ハンドルネームはおろかIDすらも頻繁に変えてしまうことに定評のある私だが、一際大事にしているIDが2つだけある。

@GN_a007と@NLaEnM。どちらも個人的に自身の象徴だと思っているIDだ。由来についてはここでは語らないことにするが、これらで活動していた期間が長く、まさしく愛用しているIDといって差し支えないだろう。後者に関しては現在もTwitterや当ブログで使用している。凍結などでアカウントを変える時も最初にこのIDを使用することが多い。フォロワーが気づきやすいからだ。

それ故に、これらのIDだけはなんとしても凍結させたくない。或いはそういった思いから、IDを頻繁に変更するようになったのかもしれない。

 

まとめ

最後まで読んでくれた貴方であれば、この記事が今日投稿された意味に合点がいくだろう。

加えてアカウント復活という大きな出来事もあったので、こうしてアカウント遍歴として纏めるに至ったわけだ。

是非皆にはこのような無謀なアカウントの運用はやめてひとつひとつのアカウントを大事に使ってほしい。あとアカウント増やしすぎるのはあんまりオススメしないよ。

それでは良きTwitterライフを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祈りとは。

死者に捧げるものであると同時に、残された生者が歩を進めるための儀式でもある。

弔いと訣別。

故に。

その魂が永遠に安息を得られるように。

その者達が時に立ち止まっても、いつか新たな一歩を踏み出せるように。

私は祈る。

 

2022年3月11日